泉流醸造法 弥彦酒造

越後の名峰、弥彦山麓で護られてきた「泉」のごとき酒造り『泉流醸造法』

眼下に日本海と新潟平野を一望する越後の名峰、弥彦山。
その麓、越後一宮彌彦神社など、まさに自然と神の恩恵を授かった山麓「泉」の地に弥彦酒造はございます。

天保九年(1838年)創業。
嘉永元年に初代が独自の酒造法「泉流醸造法」を確立。
「〜その色淡、その味頸、耐久廃せざる〜」を特徴とした当時画期的な醸造法とされておりました。

以来、その醸造を修めるべく多くの蔵人が当蔵の門を叩きました。
長年にわたり多くの蔵人を育て、師事した門人は数百人にも及びます。
泉流の流儀を踏襲した多くの蔵人を杜氏として各地の蔵へ輩出したことから、『出世蔵』と称されておりました。

越後一宮に仕える御神酒蔵として、当蔵は日本酒を取り巻く環境が変わろうとも、流行に左右されず、永きにわたり丹精込めて泉のごとき酒造りを頑に護り続けております。

多くの石数を造らず必ず精醸を期す

厳寒期にのみ手造り・小仕込みされる本物の國酒

米は最高級の兵庫県産山田錦と弥彦産の山田錦・愛国・越淡麗・五百万石を丁寧に磨き、雪の降り積もる厳寒期にのみ、手造り・小仕込で「本物の日本酒」を追求し続けております。

雪のように清く 湧水のように尊い酒

吟醸以上の酒は生まれたままの姿を損なわぬよう、瓶火入での冷蔵庫管理という、現代において可能な限りのこだわりをもって造り上げています。そのため、口あたりがよく、まろやかでやさしい味に仕上がっております。

雪のように純粋な清楚なお酒。ぜひご堪能ください。

越後一宮 彌彦神社

万葉集に詠まれし古から続く鎮守の森

「いやひこおのれ神さび青雲の棚引く日すらこさめそぼふる」

最も古い歌集「万葉集」に詠まれているように、昔ながらの神奈備の森。広々とした越後平野の中央にそびえたつ弥彦山麓に鎮まられ、古くより"おやひこさま"の敬称で広く親しまれる彌彦神社。
境内はうっ蒼たる樹林に覆われ、亭々たる老杉、古欅は見るからに神々しい佇まい。当蔵は〈越後一宮〉彌彦神社に仕える酒蔵として雪のように清く湧水のように尊い酒を護り続けています。

筆頭杜氏はことあるごとに、おやひこさまを訪ね、酒造りに思索を重ねます。
緑に映える朱色の一の鳥居をくぐり足下を見れば、弥彦山からの清流・御手洗川がせせらぎます。御手洗川にかかる御神橋・玉ノ橋が架かっており、荘厳な雰囲気を感じながら石畳へと歩を進めるとそこは古からの巨木の回廊。
参道右側の神苑には巨木に交じって里桜も多く、春には可憐な花が出迎えてくれます。

御祭神



御祭神は天照大御神の御曾孫(ひまご)にあたる天香山命(アメカゴヤマノミコト)です。高天原より神々が御降臨の折にご一緒に降り、紀州熊野に住み、神武天皇のご東征に際して韴霊(フツノミタマ)の剣を奉って大功をたてられました。神武天皇が国家統一後、大和の橿原の宮で即位された4年後、越後地方の開拓経営の詔を受け、日本海の荒波を舟で渡られ、はるばる越の国の野積浜にご上陸されました。

そこで早速、漁民に海水を焚いて塩をつくることや網、釣り針を用いて魚を獲る術を教えられました。さらに弥彦に宮居を定められてから蛮族を平定され、住民に稲作や酒造の術をご指導されました。以降、6代の御子孫も協力、継承して、越後地方の産業文化の基礎を造られ、まさに越後開拓・文化産業の始祖神であらせられます。

天香山命を越後開拓の神として奉戴し弥彦神社が創建された時代は詳かではありませんが、万葉集から推定して1,300年以前とされております。

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